2008年3月11日火曜日

「響楽II」


「響楽II」で芸術に大衆性が必要か?の司会者の問いに,1人くらい「芸術は大衆性とは無縁だ」と言い切った作家がいてもよかったのにね.
大衆性があるのは多数派からの支持があるということしょ.
クラシック音楽そのものが,日本では大衆性を持っていないではないか.オーケストラの運営がどこでも非常にキツイなどはその一例です.その中の「現代音楽」少数派の中の更に少数派.
分かり易さ...ベートーベン晩年の弦楽四重奏曲やピアノソナタは,果たして分かり易いだろうか.調性があったって分かり難いものは沢山あるよね.他方調性が無い能楽の音楽はそれ自体魅力あります.日本の伝統に西洋の音楽理論を当てはめることは無意味だけど.
ある種のロックや,ディスコ音楽は調性はあまり感じられないけれど,大衆の支持はあります.ビート感が売りだからかな.
「現代音楽」こんな分類はもうやめて新しい用語を考案した方がイイと思いますが,「20世紀後半のスタイルの音楽」が分かり難いのは,聴衆は感じようと思って音楽を聴きたいのに,考えさせる音楽の供給となったからでしょう.
孤の存在である人間の精神活動の表現が芸術であるから,多数派を目指すのはさっさと諦めよう.この芸術の世界に入った以上,孤独,孤立を友とし,無理解と闘う覚悟を持ち,新たな航海に出ようではありませんか.
持続性のある感動を持つ作品は,その作家の精神活動が活発な証拠です.
遠藤雅夫

0 件のコメント:

コメントを投稿