2009年12月28日月曜日

ホームページ開設の広報に当たって思うこと


こんにちは、作曲家のロクリアン正岡です。
 現代音楽の現状は厳しく、現役作曲という自らの先端を失ったクラシック音楽の将来はさらに厳しいようです。
では、シェーンベルクという調性音楽圏からの脱走犯がいけなかったのか、と言うとそれも違います。
もとはといえば、そのむかし、グレゴリオ聖歌制定時にロクリアン(=ロクリア旋法)を外したのが間違いのもとであった、というのが私の見方です。
 いや、ロクリアン・Mと自ら名乗る私ならではの実存的実感そのものであります。
 もしロクリアンが含まれていたら、全音階は十分な全体性を持ち、転旋の自由も複旋の自由もあって、作曲家たちはそのより広い音のハーモニーの海で今も幸せ(=“シ”合わせ)に泳いでいた、いや作曲していたかもしれないのです。それが、魔女をいじめ黒猫をいじめペストなど流行らせ、シェーンベルクのような脱走犯を生み、現在の日本で「「芸術に大衆性は必要か!?」などという本質を外した議論を作曲家たちにさせているのも、みんなみんなグレゴリオ聖歌制定に関与したおえら方(そのほとんどは西洋坊さんたちだったか)の罪ではないでしょうか。
これぞ、西洋音楽史の原罪!しかも、これまでその罪を誰も舌鋒鋭く指摘した者はいなかったし、トニカのお化け大バッハがもっともらしく罪の痕跡をかき消し、音楽のインフラ整備をやったというか、きれいなアスファルトで敷き詰めてしまったので、(そうそう、それにかのドミナントのお化けのベートーヴェン様が暴走族さながらの走り方をやって見せたりで)ロクリアン忘れは決定的となったのです。 ために今頃になって西洋から遠く離れた極東の地で私、ロクリアン正岡がトニカ苦禊(みそぎ)役を担当しなければならなくなったという次第です。こんなわけですから、音楽史は見直されなければならないし、出来れば将来へ向けて実際に治して行くべきではないでしょうか?!  人類も感性の枠をもっとずっと押し広げなければやって行けなくなっていることですしね。  「ヨクナレ・シ・ナナリアン」 という全音階図こそ“何“様の存在を証明する影ですゾ!!! 詳しくはホームページをご参照ください。また、御意見もどしどしお寄せ下さい。
作曲、音楽、社会、人類、この世、あの世、そして、なによりも何様を愛する日本現代音楽協会の諸兄妹、並びに会外の熱くもご聡明なる皆様方へ
正会員:ロクリアン正岡

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