■撮影者:ken Howard
■撮影場所:エンゲルマン・リサイタルホール(ニューヨーク)
■撮影場所:エンゲルマン・リサイタルホール(ニューヨーク)
■演奏曲目:福士則夫作曲「満月の夜に」(ミュージック・フロム・ジャパン委嘱作品世界初演)
■演奏者:メゾソプラノ/青山恵子、能管/西川浩平
ミュージック・フロム・ジャパン2011年音楽祭36周年シーズンは2月12日、近くの公園にはまだ雪の残るニューヨーク、バルーク大学内エンゲルマン・リサイタルホールにおいて「東の笛、西の笛」と題し、フルートと篠笛・能管奏者、西川浩平とアメリカ人作曲家兼フルート・尺八奏者、エリザベス・ブラウンによるデュオ・コンサートによって開幕した。古典物から始まったのち西川浩平の能管による猿谷紀郎「彩層」は、幾重にも連なる墨絵の山々を連想させるが、その熱き頂を降りると静謐な世界が広がり、日本に興味を持ち、ある種のイメージを持っているアメリカ人には最も親しめる作品であったように思われた。アメリカ初演の岡坂慶紀「オルフェウスまたは恋の音取り」を演奏したエリザベス・ブラウンはロジカルな音楽のうねりをしばしばせき止める休止が、音楽の有機的な持続に離反しているように思えて日本人ならどのような「間」を作るのだろうかと、考えさせられる演奏であった。エリザベス・ブラウンの6章からなるMFJ委嘱作品「月への断章」は各章それぞれ興味深かったが、二管の全く性格の全く異なる楽器による揺れや、差音から生じる音響などが展開する一方、全く異質なフィギュレーションがぶつかり合う時間があり、その構成の組み立てが興味深かった。最後に演奏された平義久「シンクロニー」の後半、二人の掛け合いは相手をなぎ倒すような気迫に幾分欠けていたように感じられたのが少々残念であった。
満席の初日に比べて2日目の13日は少し空席が有り、日本語による歌曲というハードルが関係したのだろうか。しかしながらそれを乗り越える青山恵子のパフォーマンスは圧巻であった。日本名歌集の後半、團伊玖磨「彼岸花」からスイッチが切り替わるように変貌したのち、増本伎共子「夜」の恐ろしく身近に迫ってくる凶器のような世界に打たれた。休憩後、福士則夫のMFJ委嘱作品「満月の夜に」は竹取物語の61話中50話目の話で、翁にかぐや姫が別れを告げる場面をテキストにしているが、語り手・翁・かぐや姫のキャラクターを見事に演じ分けた演奏であった。能管の<ひしぎ>が刺激的でアメリカ人に拒否反応が出る心配はあったが、演奏後行われた聴衆とのディスカッションにおいて特に問題とはされなかった。後半は再び増本作品で「シテテン」は「夜」とは真逆の世界で間宮芳生「杓子売り歌」と並んで楽しめる佳作である。早坂作品から再び<ニッポン>を意識した作品が並ぶが、橋本國彦「舞」のド派手な世界に辟易しながら、国外での今やもうこうしたもので幕を下ろすやり方も必要なくなってきているのではないだろうかと感じた。
近代的高層ビルと古めかしいビルが混在し、暖房と関係あるのだろうか至る所で白い煙が立ち登り、タクシーのクラクションやパトカーの派手なサイレンが響き渡り、信号を無視した人々が早足ですれ違うニューヨークとは打って変わって、静かで整えられたワシントンへ2月15日に移動し、翌16日にはスミソニアン・フリーア美術館にある古めかしいホールでニューヨーク公演曲目から抜粋したものが演奏された。尺八・篠笛による古典、日本名歌集、増本作品「夜」、エリザベス・ブラウン「月の断章」、福士則夫「満月の夜に」、平義久「シンクロニー」、橋本國彦「舞」にワシントンの聴衆は好意的に時間を共有したように思えた。また西川浩平の多芸多才に思わず引き込まれ、塚田佳男のまさに歌のツボを知っている行届いたピアノ伴奏を特に明記しておきたい。なお演奏会に先立って9日にコロンビア大学内ドッジホールに於いて増本、福士による講演会が同大の大西義明氏による通訳で行われたことを付記しておく。
それにしても36年間、日本の古典と新しい作品を提供し続けるMFJの三浦尚之さん、小野真理さんに頭が下がるばかりである。その停まることのない情熱によって演奏家、作曲家が応えているのがこの企画なのだと思うが、支援の輪を今以上に広げなければと切実に感じた。
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