2010年3月1日月曜日

「世界に開く窓」出演:増本竜士(フルート)

「いつかは現代音楽協会から演奏依頼があるだろうな・・。」と思っていた(恐れていた)ある日に3月3日の演奏会についての連絡があった。
 
2009年夏に日本に完全帰国し、最近はオーケストラの演奏活動が多く、「ピッコロを専門的に勉強してきた」自負(・・があったりなかったり)をもって、在京・在阪のオーケストラに賛助出演しに駆け回り、各地でのコンサートもフルートだけでなくピッコロの演奏も混ぜたプログラムで演奏活動を行ってきた。
 
大型楽器の演奏家には申し訳ないのだが、「フルートもピッコロもひっさげて大変や〜」とオーケストラでの即戦力・特殊楽器(=ピッコロ)のスペシャリストとして「ひとつひとつの演奏での評判を大事にしていこう」と日々過ごしていたが、協会からの以来演奏曲目はなんとバスフルートとアルトフルートの為に書かれた もの。
 
「えーっと。楽器の調達の問題がありますので簡単にはお返事が出来ないのですが・・」と一度は答えたものの、現代のフルート吹きとしてオーケストラでのピッコロと現代音楽への既知と実践は必須条件と(個人的に)考えているので「(日程と楽器の調達を)何とかします!」と返事をしてしまった。
 
その電話の直後から不安は日に日に大きくなり、(なにせアルトフルートはオーケストラで何度か吹いたことはあるもののソロは初めて)とにかくフルート属の大型楽器アルトとバス・フルートの「特訓を開始せねば・・」とまず気が焦った。
 
皆さん。想像あるいは実践してみて下さい。
 
●普段使っているお箸を菜箸に代え、さらに細長くて重い金属製のものに代え、さらにはすりこ木あるいは麺打ち棒で麺類を食べる。
●あるいは一日中鉛筆ではなく鳥の羽の根元部分で文字を書く、太マジックだけで書く、筆ペンまたは筆で書く。などなど
 
「ね!考えただけで手が痛くなってきたでしょ?」(笑)
 
このように(・・どのように?)特訓開始当初はバスフルートの重量に、肩も手も疲労感に苛まれ、アルトフルートではやたら吹き込む息の当たるポイントの広がった音域コントロールに悪戦苦闘し、慣れきっていたフルートとピッコロの持ち替えとは段違いに難しい低音フルート属楽器に悩まされました。
 
そうこうするうちに低音フルート属の持つ柔らかな音色・響きを掴む事も出来はじめ、作品の持つ表現世界・立体的な音楽が見えてきた。
 
来週の演奏会にはサクソフォニスト並みの大きな楽器ケースをひっさげて会場に向かうことでしょう。
 
「現代の音楽」を演奏する際、その多様な世界観を表現するにあたり、従来のレパートリーでの演奏よりも(いわゆる)普通のフルートでは、際限のない閉塞感だったり、深遠な表現と多彩な音色を意識する。
他方、ピッコロでは破壊的なまでの運動性・その高い音域から生まれる緊張感とそれに対比する柔らかな低音(木管らしい柔らかな音色)を意識して前面に押し出すことが多い。
 
今回の演奏会ではクリスチャン・カロン作品ではテープ録音に内在する音素材にどこまでも溶け込む「音色と息によるノイズ」を、湯浅作品ではどこか遠くから聞こえてくる朧ろげな「モノトーン的な立体感」を意識している。
 
低音フルート属での演奏にふさわしいこの2曲に「都市世界における閉塞的なノイズ」や「朧げな記憶による乾いた風景の具現化」などの(勝手に想像した)イメージをヒントにして表現をのせて演奏したいと思います。
 
目に見えない「風」やら「空気」あるいは「閉塞感」などを「音にしてみたらこんな感じでかな?」と譜読み中に考えてみたり、「どこまでも内に篭ってみるとどういう音が見えてくるのか?」などなど、作品の読解作業に「自己を知る・見つめる」ヒントが隠されてるような気もする。
 
和洋を問わず、どの文明にも存在する「笛」
今回自身も始めての試み・発見でもあったアルフルート・バスフルートの持つ音色感。
まさに風や空気の具現化といえる表現世界。それから柔らかで染み渡る郷愁的な音。作品の持つ魅力を存分に引き出し、多彩な表現をたっぷりとのせていきたい。
 
3日の演奏会は4曲とも個性あふれる作品ばかりです。願わくは私も聞きに行きたかったコンサート。是非とも応援と共に足を運んでくだされば!と思います。
 
「現代音楽」を同時代に生まれる芸術として共感してみるのって興味深い素敵な行動だと思います。
 
「モダンアート」まだまだ体験・経験する分野も事象もたっぷり残されているようです。
協会に感謝ですね。バスフルート本当に重いけど。。楽器調達大変だったけど。。(笑)

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